九大移転対策協議会・広島大学移転調査

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 九大移転対策協議会は先進事例としての調査を行った。しかし結果は決して成功事例とは思われない。九大移転先の元岡・桑原地区が本当に適切な場所なのか改めて考えさせられた。以下視察報告をする。

九大移転対策協議会
10月23日(木)、24日(金)広島大学調査
10月23日(木) 東広島市
午前:東広島市にて移転に伴う事業の説明
1)事業の経過
 昭和48年に広島大学が西条町に移転することが決まり、昭和49年近隣4町で合併し、東広島市となった。当初6万4千人の人口が現在12万人となっている。賀茂学園都市構想が昭和50年に策定され、昭和51に地域振興整備公社が東広島ニュータウンを開発着手、平成7年完成、昭和59年広島中央テクノポリス地域指定、平成4年広島中央サイエンスパーク完成。近畿大学工学部も東広島市に移転している。広島大学移転を軸に学園都市として都市整備を進めている。サイエンスパークには広島大害共同研究センターや酒類総合研究所、松下電器情報システム研究所など12事業体が入っているが、大半は公的機関である。西条駅周辺の土地区画整理事業を始め、駅から大学につなく幅員38メートルの通称ブールームバールと呼んでいる道路を軸に街づくりが進められている。
 大学移転は昭和55年から昭和60年の予定であったが、4回の見直しがあり昭和57から平成7年までかかり、予定よりも10年遅れた。計画決定から最終的に移転完了まで25年を要した。その理由は文部省からの補助金が少なかったこと、移転跡地の処分すすまなかったことにある。
 合併当時の人口は6万3千人であったが現在12万人となった。近畿大学工学部が移転し、学生数は広島大学12000人を併せて18000人となった。学生の83%は市内に住んでいる。
 東広島市は盆地になっており、水源に乏しく、溜池農業が行われていた。大学移転にともない、水源については広島市の太田川から水を引くことになった。そのため水道水料金は高くなっている。

2)移転にともなう課題、学生の宿舎の確保
 移転にともない学生の宿舎確保が課題となった。移転が決まった当時の市街化区域は7%としかなく、学生宿舎確保のために市街化調整悔いでも学生アパートに限り建設が出来るようにした。平成6年に全学部の移転が決まり、平成5年に5000人もの学生が移転することになったため下宿が不足となった。市では対策として、新築アパートには1室2万4千円、改築には1室1万円の補助金を出すことにした。しかし、農村地域にアパートが点在し、学生が行く喫茶店や遊ぶ場所などがなく、大学や学生から街の整備の要望が出され、大学に隣接する地区に下見学生街の整備が行われた。整備は土地区画整理事業ではなく地区計画による事業とし、平成5年に地区計画変更を行い事業に着手した。た。そのため、保有地処分等のリスクを負う必要がなく、住民の土地拠出による道路整備を進めることが出来た。整備にあたり、店舗の集積を図るために核テナントとして平成元年から交渉をはじめ、平成9年ハイパーマート(2年後閉店。現在ユメタウンとなっている)の誘致に成功、商業施設の集積が進んだ。学生下宿と商業施設が集積する学生街となっている。問題は、学生がいない長期休暇中は店舗の営業収益が落ち込むこと、学生のアルバイト先が少ないことなどがある。

3)移転にともなうメリットデメリット
○メリット
・市民の教育への関心が高まった。
 付属小中学校の設置、教育レベルの向上、生涯教育への関心の高まり
・大学関連事業の市への補助金増

○デメリット
・住民と学生との生活時間が異なることによるトラブル
・交通事故増
・学生などへの犯罪増

○行政が下宿対策を行ったことの問題
・田園地帯に不釣り合いな建物が点在する。景観が悪くなる。
・市街化が進むと市街化調整区域内のアパートが空き家になる。しかし、土地の転用が出 来ない。

午後:下見学生街の視察および広島大学での説明
 午後は下見学生街の視察を行い、その後広島大学で説明を受けた。広島大学では社会連携を重要な端と位置づけ、地域貢献事業を進めている。平成12年に学内に大学情報サービス室を設置、平成13年に社会連携担当の学長補佐を設置、平成14年には社会連携担当副学長を設置している。
 地域貢献事業として、高度生涯学習支援システム、県民「元気倍増」プロジェクト、サテライトキャンパス複合拠点整備事業、ひろしま「平和メッセージ」発信事業、地域防災ネットワーク構築事業、広島大学「地域貢献研究」推進事業(予算をつけている)を行っている。また、学生の就職活動支援として、企業から担当教授を採用し、単位として認めている。

10月24日(金)広島市役所
 広島市役所で、移転による影響について説明を受けた。統計は取っていないが現在ある資料から見ると、大学があった中央区の人口および商店は大きな影響を受けている。特に小売業は移転前に比べると商店数は66%に激減している。売上高も大学周辺はひどいところは30%にも落ちているところがある。市としても移転はマイナスであったと評価している。
 また、移転跡地処分についても進んでいない。市および県の財政が悪化しているために本部跡地7.1ヘクタールの購入のめどが立たず、宙に浮いている。大学では独立行政法人化するために処分を急いでおり、場合によっては民間への売却もあり得るとしている。しかし、民間への売却も難しいと思われる。
 この後他土地の視察を行い福岡へ戻った。