ケヤキ・庭石裁判報告

Pocket

2005年10月3日(月)

山崎市長がウソで塗り固めてきた人工島事業の真実が裁判で次々と明らかにされてきた。

 この日の裁判は、西田被告の弁護士から志岐被告に平成11年8月に博多港開発社長就任祝いとして渡した300万円について、西田被告とのやりとりが聞かれた。この質問で明らかになったことは、①平成10年山崎市長が新市長に当選した当時は志岐被告を助役として続投させると言うことを市長自ら言っていたが、その後急に市長周辺の人たちが助役を辞任するように説得にきた、②助役辞任の条件として博多港開発社長就任がしめされた、③その辞任を求める人たちの中に西田被告いた、④就任祝いに渡した300万円は祝いだけではなくお詫びの意味もあった、ということである。志岐被告は盆暮れには多くの人から付け届けをもらい、会社のロッカーには数千万円もおいていたと先回の裁判では証言しており、彼らの金銭感覚と博多港開発がいかに利権にまみれているかが分かるものである。また、志岐被告は平成11年3月に助役を辞任したが、その理由として、「私がいれば職員や経済界が私の周りに集まってくることから、市長にはよくないのではないと感じていた。」と答えている。つまり、市長の取り巻きから排除されといううことであり、市役所内の権力闘争が伺われる。

 その後検察官の質問が始まった。この質問は志岐被告が博多港開発社長に就任した平成11年6月における博多港開発の経営状況について、ケヤキ庭石を購入する必要性があったのか質問がなされた。平成9年から11年にかけて、当時の深山港湾局長と志岐被告(当時助役)ら幹部は定期的に会合を持ち、人工島の収益改善について協議していた。平成11年7月6日に博多港開発は200億円の赤字になるという見通しを港湾局に提出した。福岡市は50億円ほどの黒字になるようにして欲しいと依頼した。その後、博多港開発は2度修正を求められ、地価をあげるなど都合がいい数字を並べて、43億円の黒字となる収支計画を出した。志岐被告は単なる協議の資料ではないのか知らないと否認しているが、当時の担当課長は報告していると証言している。志岐被告は200億の赤字になると分かっていれば社長は即座に辞めていると言っているが、社長就任後すぐに全ての経費の2割削減を指示していることと矛盾している。

 平成12年3月に、日本興業銀行(興銀)が「このままでは100億円の赤字になる。福岡市の損失保証が必要。」と福岡銀行(福銀)を通じて福岡市に損失保証を要請があった。この件について志岐被告は、当時金融庁の不良債権処理についての指導が厳しくなっていたこと、博多リバレインの債務処理(約440億円の債権放棄の時、福銀だけが先に60億円ほどの債権回収をしていたこと)に対して興銀が不信感を持っていたからではないかと答えている。また、興銀が100億円の赤字になるとした理由について、志岐被告は興銀が最も審査能力があり、精査した結果不良債権としたのではないかと答えている。不良債権とした理由に、鉄軌道導入が大前提であるにもかかわらず進展してないこと、土地の価格が高すぎことにあると答えている。その後興銀は融資を拒み続け、福銀など地場三行が短期の貸付を行いしのいでいる。興銀はその後も三行が肩代わりした短期貸付を長期貸付への振替を拒み、平成12年末には興銀を含む8行は27億円の融資を止めている。審査能力が優れている興銀が抜ければ他の銀行も融資をやめることになり、事業はストップしたと志岐被告は答えている。このような状況で、市長の念書が書かれた。

 平成12年10月13日の博多港開発の報告書には、福岡銀行の人工島事業に対する評価について語られており、人工島事業の問題点として、土地処分が困難であること、373億円の赤字事業になるとしている。平成12年の博多港開発の報告書では、暫定的に融資がされているがこのままでは繋ぎ融資の延長も難しく、新規の融資もしたくても出来ないという危機的状況になる可能性があると担当部長が報告している。更に、平成13年2月22日の博多港開発の報告書では、売上金について返済に充てずに他の支払いに使うことを福岡銀行に了解を求めている。実際、売上金を福銀ではなく佐賀銀行に預けた。このことについて、志岐被告は福銀が「必要な資金は貸し出す」という協定に違反したので対抗措置を執ったと答えている。このことが福銀が融資する条件として志岐被告を解任することを求めた原因と考えられる。しかし、福銀など地場三行からの融資が受けられなければ資金ショートするという報告を受けており、福銀の圧力に屈した。このような状況で市長が銀行に損失報償を行う念書を書いた。しかし、その後も銀行の態度は硬く、融資を拒み続けている。平成13年4月の博多港開発の報告書では、厳しく資金のチェックがされ、事実上銀行の管理下にあると担当部長が報告している。この時点で、地場三行以外の8行が27億円の融資を実行していないことも報告されている。このような報告は毎月定期的になされており、山崎市長も知っている。

 平成13年7月31日に報告書では、融資に関する会議が持たれ、福銀のとりまとめが進んでおらず、8月までに融資がまとまらないと緊急事態になるとしている。このような中で平成13年8月20日に銀行団と博多港開発との協定書が交わされ、市長が立ち会うことで市が損失報償をすることを確認した。同年8月31日に協調融資の話がなされ、9月に32億円の借り入れが必要であることが話された。この借り入れは60億円の増資(福岡市が30億円出資)と言うことでとりあえずしのいだ。同年11月の報告書では日本政策銀行がマスタープランなどの相当なものがなければ来年8月までの融資は難しいと言っていることが報告された。他の銀行もこのままでは今後の融資は難しいと言っている。同年12月3日の報告でも日本政策銀行は融資を実行することは難しいと言っており、同年12月12日の報告でも福岡銀行は新事業計画に問題点があると指摘していることが報告された。このように、銀行団は新事業計画でさえ信頼しておらず、更に厳しい条件が付けられた。道路整備等を公共工事で行うだけでなく、売れない土地を福岡市や福岡市住宅供給公社に買わせる、200億円の緊急過失枠を予算化させることなどである。銀行にがんじがらめになっている様子がよく分かる。このことが平成14年3月に結ばれた銀行と博多港開発の協定書に盛り込まれている。もちろん福岡市の損失保証も確認されているはずである。

 ケヤキ・庭石を購入する必要性についての質問がなされた。購入したケヤキを人工島の街路樹として使ってもらうよう土木局にに断られており、購入前に用途を決めて購入すという通常の手続きについてもそんなことは関係ないとうそぶいている。志岐被告は繰り返し人工島の評価をあげるために必要な先行投資であると答えた。前述のように博多港開発の経営状況は極めて厳しい状況にあったにもかかわらず、経営状況がよかったので先行投資だと答えている。しかし、当時の担当部長2名はともに土地利用計画が決まってわらず、ケヤキ庭石を取得する必要はなかったと供述している。逆に自分は民主的に経営していたので、そのような意見をどうして言わなかったのかと居直っている。価格についても国の公共工事用の物価本より2割以上安く購入しているので高いとは考えていないと居直り続けた。また誰が決済したのかについても会社で話し合った決めたので、みんなで買うことを決めたことだからいいものを買うことにしたと責任の所在についても回答しなかった。。もっと安く買えないのか、他の樹種、他の石を買うなどの市場調査をし検討しなかったのかということについても部下がいいものといっているので決済しただけで知らないと居直っている。

 裁判を通じて、平成11年に山崎市長が人工島を見直したときから既に破綻していたことが明らかになった。そのことは平成9年時点から港湾局を中心に採算性をあげる検討を協議しており、博多港開発も事業の見通しの時点で200億円の赤字になるとして事業が厳しいことを認識していたこと、平成12年には全ての融資銀行も既に事業の見通しが厳しいと見ていたことが明らかになった。その大きな理由は鉄軌道が人工島に導入が進まないこと、そして地価下落が続き採算性がとれないこと、土地需要が減少していることを当然のことながら見ていた。銀行が融資に厳しくなったのは銀行の再編と金融庁の不良債権処理をより厳密に進める指導であった。山崎市長はこのような状況を知りつつ、強引に事業を進めるために銀行に身も心も全てを売り、全面的な損失保証を約束し、実施してきたことは明らかである。

 子ども病院はどうして人工島に移転しなければならないのか、それは山崎市長が銀行に損失報償を約束したからである。どうして雁ノ巣に新空港を作らなければならないのか、それは人工島に鉄軌道を繋ぐためである。オリンピックをどうして招致するのか、人工島に選手村を作り住宅として売る、同時に鉄軌道を乗り入れ指させるためである。福岡市政が人工島によって歪められてきたこと、そしていまも歪められ続けている。このことはもうここまで埋め立てたのだから後は利用を考えるべきだと物知り顔で語ることがいかに犯罪的である果敢がなければならない。ケヤキ庭石事件が世間に表沙汰になり、裁判になったことで初めて真相が見えてきた。市長は博多港開発に関する全てのものを情報公開し、市民に説明する責任がある。