ケヤキ庭石裁判報告

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2005年10月26日(水)

 今回の公判では明らかになったものは、第1点は、公共工事に絡む利権の構造である。志岐被告が多額の資産(約4億円)を有しており、また、女性に貢いだ金銭や遊興費に多額のお金(分かっただけでも数千万円)を使っている。そして、西田被告以外にも市議会議員が利権にからみついている事が見える。そのお金の入手先は、親の遺産もあるが、「後援者」なるもの(20名ほど)であると志岐被告は答えた。「応援者」なるものが「自分を育てる」ために職員時代から盆暮れに少ない時は10万円、多い時は100万円の単位で持ってきたと答えており、博多港開発社長時代には社長室のロッカーにはいつも数千万円の現金を入れていたという。もちろん所得申告はしておらず、志岐被告は違法ではないが中には市民が首をかしげるものもある、職務権限がないので賄賂ではないと居直っている。まさに賄賂である。また、博多港開発社長時代は、中州の飲食費等を博多港開発につけ回しして遊んでいた。博多港開発が市職員の天下り先天国であることが分かる。これは他の三セクも同じと思われる。市職員と議員や業者との癒着、公共工事にかかる不正がなくならない背景には、内部告発制度の不備、公務員倫理喪失の構造が福岡市の中にある。三セクが公共工事の不正および市職員腐敗の隠れ蓑になっていることも見逃せない。

 第2点は、市における権力抗争である。
 西田被告が志岐被告の社長就任祝いに300万を渡している。このお金の趣旨は志岐社長へのお詫びとされている。当初志岐被告を助役続投の予定であったものを、山崎市長が側近の意見で友池助役に変えて志岐被告を博多港開発社長にしたことに対してのお詫びということである。友池助役は桑原市長の後継者に決まっていたということで、反山崎市長であったにもかかわらず、助役続投にしたことに対してのお詫びということである。庁内は友池派と志岐派に勢力争いがあったということで、山崎市長の有力な側近によって志岐被告が排除されたということである。300万円はその有力な側近が出したと西田被告はいっており、志岐被告は自分がやめてやったので300万円は少ないくらいだと言っている。志岐被告を追い出すために、博多港開発社長というイスと支度金300万円という事だ。公共事業に絡む利権の世界が垣間見える。やくざの世界である。

 第3点は、公共事業はいかに「おいしい世界」であるかということである。
 西田被告は自己の無罪を主張するに当たり、多少多く取りすぎたが商習慣の範囲内であると言っている。具体的に説明を以下のようにした。公共事業では発注額は直接工事費の4~5割り増しになる、また直接工事費は事業者の努力で引き下げることで利益を得ると説明した。ケヤキについては、通常の公共工事として考えると国土交通省が出している物価本が積算根拠として使われており、大庭被告の裁判では鑑定では11本市が43万6千円、それ以外はほとんど価値がないと鑑定されたが、物価本の価格145万円ないし9掛けの130万円が妥当と主張した。西田被告はケヤキは物価本を元に受注計算すると5割り増しで218万円となるが、100万円で購入すたことで事業は150万円程度となり、事業費は安くなると主張した。まさに公共事業に隠されている「おいしい話し」なのだ。原価は4、5万円しかしないものを、堀取り費用および運搬費用を入れてもせいぜい30万円程度のものを100万円で買わせ、これは営業努力だと言っている。そもそも植栽計画はなく必要がないものを不当に高く大量に買わせ、不当に多額の利益を得たことを居直っている。公共工事における物価本、そして受注積算の仕組みは政治家、役人、業者にとって「おいしい蜜」であることが見えた。ケヤキ庭石事件にはその「甘い蜜」の分け前が役人にも政治家にもゆく構造が見える。

 以下詳細に報告する。
1、志岐被告に関する質問
 まず、志岐被告に対して検察から平成13年3月にかかれた市長の念書について質問がなされた。質問は念書が銀行にとってどういう意味を持つのかと言うことであった。志岐被告は金融庁の指導が厳しくなり、銀行が博多港開発の債権を要注意から不良債権と厳しく査定したため、金融庁に対する説明に使うためだったのではないかと答えている。これまで無担保で融資しており、銀行は福岡市が損失保証か債務保証をしなければ融資しないという姿勢であり、念書は事実上の担保であった。この質問で当時の経営状況が依然厳し状況であったことを改めた示した。

 次に、平成7年に既にケヤキが購入されていたことについて志岐被告は平成11年にケヤキ購入の決済を口頭で求められた時まで知らなかったと証言していることに質問した。平成7年に当時総務局長であった志岐被告が大庭被告を局長室に呼んで、博多港開発に香椎パークポートにケヤキを使ってもらおうと博多港開発にケヤキを買うように要請しているが、博多港開発はなかなか決断しないので、ちょっと博多港開発を見に行って欲しいと言ったと大庭被告が証言していることについて尋ねたが、志岐被告は記憶にないと答えた。この件は、事件発覚当時、平成7年に桑原市長名で博多港開発にケヤキ購入の依頼文が出され、その依頼文の文書番号がないこと、押印された印鑑が総務局長の市長印と分かっている。しかし、福岡市の調査では作成者不明となっていた。大庭被告の証言から、文書作成者は志岐被告であることは明らかである。
 続いて、志岐被告が社長就任と同時に社長を退職した末藤元社長の退職金が平成13年8月と12月に分割して支払われたことについて質問された。この件について、志岐被告が末藤社長に資金繰りが大変なので退職金の支払いをちょっと待って欲しいと言ったとされることについて、志岐被告は福岡市の申し入れで行ったものだとして、当時の経営状況が既に悪かったことを打ち消そうとした。

 次に証言を翻したことから、調書の信憑性について質問した。先任の弁護士が調書について証明しないように言っていたのになぜ署名したのかという問いに、当初から事実関係は認めることにしていたので署名したと答えた。弁護士がなぜ署名してはいけないといたのか、その理由は説明を受けたのかという問いには説明は受けてないと答え、その後罪を認めないなら証明しないように言われたと矛盾した答えをしていた。調書が裁判の証拠に使われることについても認識していたこと、調書の表現についても検察官と検討して作ったことを認めたが、裁判官に対する印象を意識していたのではないかという問いは記憶がないとはぐらかした。
 関連して、西田被告が平成4年に局長室にきて「宮崎でケヤキが安く手にはいる、ケヤキはかなり使われているので使えるのでゃないか」といってきたので、政治活動の資金に使うのではと思っていたので紹介したと供述したとについて質問した。この件は博多港開発に紹介したが断られたものの、福岡市の公園などに使われた。志岐被告は否定したが、志岐被告が話さなければ検察がねつ造したことになり、矛盾をつかれた。同じく関連して、平成4年12月に営林署署長が志岐被告を訪ねてきた件について質問した。志岐被告は「仕事柄何しにきたか理解したので、石橋参与と相談して下さい」と言ったと供述している。この供述は記憶がないと答えている。平成12年頃西田被告が3回くらい庭石を購入しないかと言ってきたことについても志岐被告は記憶がないと答えた。
 また、庭石の取引後、西田被告が一千万円を「謝礼として受け取って下さい」といて渡した時、志岐被告は「預かっておく」と言ってもらったと供述している。検察は「預かっておく」という表現は不自然と思わないのか、調書は供述通りに記載しているのではないかとただした。また一千万円は選挙後なので多いと思ったと供述したことについても、記憶にないと答えている。これまで3件のケヤキ・庭石の取引前に謝礼を払うと西田被告が言ったと供述しているがこれも記憶にないと答えている。

 次に当時の資金繰りはかなり厳しい状況だったのではないかという質問に、志岐被告は「やや」厳しいという認識を示した。平成13年12月時点(ケヤキを購入した時点)について、銀行は新しい協定を結ばない限り融資しないという姿勢であったが、最終的には翌年融資したので、「やや」厳しという認識であるといった。また平成13年2月に土地の売上金を融資返済に回さずに佐賀銀行に入金したことに関して、銀行の融資の姿勢が厳しく貸し渋っていたが、結局融資したので「やや」厳しということだと答えた。平成13年のゴルフ場の残土受け入れによる収入4億円について、佐賀銀行へ入金するよう指示したのは志岐被告かという問いには違うと否定。事件の全ては大庭被告が知っていると言っている。調書で志岐被告が入手先が明らかにできないと言っていることについて、ケヤキ庭石事件と関係ないから言えないと供述していることについては記憶にないといっている。続いて、大庭被告および西田被告に上申書を書いたことについて、志岐被告の考えで書いたのかという質問に、上申書は自分の考えで書いたと答えた。これらの質問は、調書が志岐被告の求める表現で作られており、検察のねつ造でないことを立証しようとした質問であった。
 逮捕当初謝礼をもらっていないと否定していたのにもらったと供述を変えたことについて質問がなされた。供述を変えたことについて、有罪は仕方がない、早く保釈してもらいたい、裁判で情状酌量を得たいと事で変えたと答えた。検察は、そうすると西田被告が謝礼を渡したということはなかったことになるのではないかと質した。志岐被告は供述を変えた時に刑事に西田被告と行き違いがないようにして欲しいと念を押した、西田被告を巻き込んで申し訳ないと釈明。現在再び謝礼はもらっていないと否認しており、矛盾だらけである。

 この後、具体的に謝礼のやりとりについて質問がなされた。まさに普通の状況ではない、なぜ市職員がこんなにお金を持っているのか、摩訶不思議な世界が展開された。
 平成7年に100万円の謝礼を受け取ったと供述している。この件については時効であること、職務権限がないことを確認して認めたが、その後再び否認。平成11年ケヤキ300本を購入した後、300万円を謝礼として受け取ったことを認めたが、これも再び否認。検察は志岐被告が謝礼を浮けと取った数日後日興コーディアル証券に500万円を入金していることからもっと高額の謝礼をもらたのではないかと聞かれたことに、200万円を足して入金したと供述しているが、これも否認。では出所はどこか聞かれると、タンス預金かもしれないし普通預金かもしれない、当時はお金をどんどん動かしていたのでどこのお金か分からないと答えた。平成12年に庭石を打った時に謝礼1000万円をもらったと供述していたがこれも否認。西田被告は荒嶽(庭石を売った会社)から1500万を受け取っており、そのうち1000万円を志岐被告に渡している。検察は庭石購入後の平成13年4月に息子名義で野村證券に1200万円入金していることについて尋ねた。調書では200万円を足して入金したと供述していたが謝礼を受け取ったことは否認。当時は3、4千万円現金を持っており、一千万円単位でお金を動かしていたのでどのお金か分からないと言っている。このお金の出所について、この後の検察の質問で改めて出てくる。一介の市職員である志岐被告がどうしてそんなにお金を持っているのか、全く不思議である。その他、平成13年に100本のケヤキを博多港開発に売りつけた時には平成14年1月に100万円の謝礼を受け取ったと供述しているが、現在否認している。
 平成13年6月、社長就任ご1、2ヶ月して西田被告が一ヶ月以内にケヤキを買って欲しいといってきたことについて、就任祝い300万円を持ってきた時なのか、その前後なのかという問いに、分からないが別々ではないかと答えている。就任祝いの300万円についても、助役を辞めさせられたことのお詫びなのかという質問に、どこからのお金か分からないが受け取ったと答えた。誰のお金か分からなくても受け取るのかという問いに、危なくない人であれば誰のお金でも受け取るといっている。また、お金の出所は分からないと言いながら、誰かは申し上げられないけれども300万円はお詫びとしては少ない、やめてあげたのだからそれなりの挨拶があってしかるべきと答えている。西田被告に何か迷惑を掛けたからなのかという問いには分からないと答え、西田被告との食い違いを示しているが、当然お金の趣旨と出所は分かっていることはこれまでのやりとりで明白である。

 検察は志岐被告のお金の動きと出所を明らかにするために、資産および遊興関係について質問した。
 志岐被告の資産は平成16年逮捕当時
  シティ銀行および三菱銀行の預金  1億9,000万円
  日興コーディアル証券       1億1,600万円
  野村證券               8,000万円
 志岐被告の親の資産および奥さんの親から相続した資産および資産の運用にる収入以外の収入があったとしている。時には一千万円単位の臨時収入があるが、今回の事件とは関係ないので、出所は言えないとしている。どのようなお金かという問いに、「私を育てよう」という人たちが職員時代から30年に亘り年末年始にお金を持ってきたと答えている。具体的な額についての問いに、一回当たり多い時は100万、少ない時は10万と答えている。もちろん、所得申告はしていないと答えた。法に触れることはないが世間では首をかしげるものもあると答えた。この発言は明らかに賄賂であることを認識しており、以前議会で「塀の上を歩いていても落ちなければいいんだ」という答弁をしており、この裁判の発言からも地位を利用してお金を得ていたことが裏付けられる発言である。何のためにお金を持ってくるのかという問いには、「私を育てるため」と答えており、「育てる」とはどういう事かという問いには「私が力をつけたりすること」と答えている。これに対して、賄賂ではないかと検察の質問に、職務権限がないから賄賂ではないと言っている。お金を持ってくる側は当然見返りを期待しており、明らかに賄賂である。公共事業の利権に群がる政・官・業癒着の構造が見えた。
 その他、お金の動きとして、志岐被告は平成17年1月18日に博多港開発から78,00尾万円の損害賠償の民事訴訟を起こされている。現在、本人名義の預貯金2000~3000万円、不動産(土地、住宅)2700万円が仮の差し押さえられている。和解の意思があることを答えている。和解に応じられる資金があるということであり、この資金もどこからきたのかが問題である。
 志岐被告は西田被告が平成8年および平成12年の衆議院議員選挙に出馬することを知っており、応援していたのではないかと検察の質問に、応援していなかったと否認した。検察は平成10年2月にキャナルシティで開催された「西田藤二を国政に送る会」の講演会に出席し、後援した事実について質問。志岐被告は役職上(当時助役)頼まれればどこでも後援するといっているが、役職上このような席で後援することに問題がある。

 次に遊興関係について質問がなされた。検察によれば、平成元年年末から平成2年年始に志岐被告の家族と西田被告の家族で旅行しており、他にもこのような付き合いがあったのかという質問に、このような家族ぐるみの付き合いは他の市議ともあったと答えている。政・官の癒着がうかがえる。
 次に女性関係について質問がなされた。志岐被告が多額の遊興費を使っており、その金の出所を明らかにするため、プライベートな部分まで踏み込んだ質問をしたと思われる。
 志岐被告は平成7年から平成12年にかけて地下鉄の設計会社の女性と付き合っており、二人でヨーロッパ旅行に出かけ費用約100万全額を志岐被告が負担、その他にもこの女性と国内旅行何度かしており、費用全て志岐被告が負担している。平成10年7月には300万円を女性に渡す、平成12年6月には女性の新車購入代金として275万を渡している。新車購入代金は手切れ金ということである。平成11年から12年にかけて11ヶ月に亘って毎月10万円を女性に渡しており、応接セットの代金40万円、歯の治療代25万円等々、合計2000万円ほど女性に渡している。平成11年6月に博多港開発社長就任時に、志岐被告はこの女性に「今までの社長は儲かっている時の社長なので楽だが、借金時代の社長だから大変だ。」と言っている。
 次にに別の女性関係について質問された。平成11年から12年にかけて中洲のサンというスナックの女性と付き合っていたとされる。サンは志岐被告ひとり、又は大庭被告と二人でたびたび利用しており、全て博多港開発の経費で落としていた。また中洲のTAROというスナックもよく利用し、博多港開発の経費で落としていた。TAROの従業員である中国人女性とも付き合っており、平成13年9月にはこの女性に600万円を貸している。その他、志岐被告は西田被告とそれぞれ女性を伴って青島、バンコック、チェジュ島などたびたび海外旅行している。志岐被告は他の市議会議員とも旅行していたことを答えている。
 このような多額の遊興費が一体どこから出されたのか、ケヤキ庭石の取引に係る1500万円もの謝礼、そして日常的な付け届けと、公共事業に絡む利権の一端が窺えた。
 
2、西田被告の証言
 まず西田被告は志岐被告に社長の就任祝い300万円についての釈明をした。まずこの300万円は会社から出したと言ったが、会社ではないと釈明。続いて、志岐被告に自分のミスで迷惑を掛けたと言い、ミスは2つあると言った。
 まず1点目について、山崎市長が当選した時、市長の側近の人から「市長は議会出身だから支えてくれる助役がいる。誰かいい人はいないか。」と相談を受けたので志岐被告がいいと答えた。側近の人に山崎市長が同意すれば西田被告に助役就任を頼んでもらと言われた。市長が承諾したので志岐被告に助役続投を頼んだところ、志岐被告は市長を支えると快諾した。ところが、その後市長が経済人らと話し合いを持ち、市長は友池条約を残したいと言っていると側近の人に言われた。友池条約は桑原市長の後継者と決まっており、桑原市長が市長選に出なければ友池氏が市長選に出ることになっていたので、意外に思った。側近の人に頼まれて助役続投をお願いしたことが第一のミスであったと言っている。 第2点として、山崎市長がどうしても別の人を助役にしたいということで、その側近の人が断りに行くことになり西田被告に同伴を頼んだ。志岐被告に会いに行く前に断るよう電話をしようと思ったが、たぶん断るだろうと思ったので電話しなかったことが第2のミスであると言っている。会いに行った時、断ると思ったがあっさり助役退任を受けた。お金は側近の人とは別の市長に親しい人がひどい話しだということで、お詫びを込めて社長就任祝いを出した。市長に迷惑がかかるので、このとは言わなかった。以上を釈明した。

 次にケヤキ・庭石の取引が少し利益は取りすぎたかもしれないが、正当な商取引の範囲であると主張した。その根拠に、公共事業の発注価格の積算の仕組みについて以下主張した。
 受注工事費と実査の工事係る直接工事費の関係について、発注者(この場合は福岡市)は直接工事費に4~5割り増しで発注価格を決める。割増分は受注者の事務費および利益となる。事業者は、実際工事費においても仕入れ価格や諸経費を削減すればそれはそれで利益を上げることができ、事業者の経営努力である。発注価格の積算には国土交通省が監修する物価本の価格が使われる。物価本になければ合い見積もりを取り、最も安いものの9掛けを積算の単価とする。樹木について福岡市は積算単価表を作っているが、樹高7mを超えるものは単価表がなく、物価本を使っていることを市の職員も証言している。庭石について、長友氏に博多港開発の塩田課長は3万5千円/トンで買うので、9掛けで3万5千円/トンになるよう見積もりを3万8千円/トンで出すように言っていると釈明。その他県の事例を出した。ケヤキは物価本の145万円を基に受注費を計算すれば218万になるが、博多港開発が100万円で購入したことは受注費は150万円程度になり事業費が安くなると主張。

 次に大庭被告の裁判で造園業の瀧証人が平成11年、平成13年に購入したケヤキについて以下のように鑑定をしたことに反論した。
  Aランク  11本 35~60万円 平均43万6千円
  Bランク 276本 35万円未満
  Cランク 111本 価値がない
 
 西田被告はケヤキの流通について、生産者→1次流通業者→2次流通業者→孫請け、下請け業者になるという。業者間を流通する時には「15%+輸送費2万5千円」が上乗せされる。瀧氏も、公共事業は物価本を参考にして発注されるが、実際の価格は半値7掛け(物価本の35%)と言っている。その理由は受注者が直接樹木を購入し植栽する訳ではなく孫請けあたりが購入し植栽するので、下請け、元請けの利益が取られるからだと説明した。だから、1本100万円であっても、博多港開発が購入した価格は元値(30万から40万)から言ってもおかしくなく、物価本から見ても安いと主張。

 次に瀧証人の鑑定について反論。鑑定には幹まわりなど寸法の規格と枝振りなどの品質という規格がある。今回のケヤキは寸法の規格はあっているが枝振りなどが割るとして価値がないとしていが、実際植栽した場合は枝振りが必ずしも価値として評価出来ないとして、市内の植栽の写真、建築関係の書籍の例など事例を出した。また、博多港開発がケヤキを購入した時、市の職員も立ち会っており、またその後毎年ケヤキの圃場を点検しているがいままで問題があるとは誰も言わなかった。事件になって枝振りが云々というのもおかしいと主張。また平成7年購入のケヤキを検査した係長は100本のうち使えるのは10本しかないが2、3年すれば使えるようになると言っており、当時パークポートの100年公園の工事に間に合わなかっただけと主張。平成7年購入のケヤキは全て切りぶかしであったが、平成11年の300本のケヤキは切りぶかしは40本、残り260本は自然形、平成13年のケヤキ100本は全て自然形であり問題がないと主張した。しかし、場所や木の樹形に応じてどのように使うかは施工者の考えであり、木の価値はキチンと規格化されなければ価格の根拠を失う。地行浜では施工者は10本のケヤキのうち7本は自分で購入、3本を西田被告が斡旋したケヤキを使っているが、西田被告が圧制した宮崎営林署のケヤキは枝振りが悪いとして目立たない部分に植えたと言っている。
 物価本は日本緑化センターが作成し、国土交通省が監修しており、瀧証人は日本緑化センターに所属しており、どうして異なる結論が出るのか不思議だといっている。瀧証人はこの事件が起こって品質規格として樹形を1~7段階にした。品質についてはこれからもっと努力しなければと言っており、これまで樹形は問題にしてこなかったと主張。ランドスケープというデザイン関係の幹まわりが重要だと言っているとした。
 次に人工島でもケヤキは植栽に適していると主張。書籍からケヤキは海岸から18~40メートル内陸部であれば問題ないと記載されていること、また、海岸部の植栽にケヤキがよく使われているとし、北九州市門司のレトロ地区の事例や、人工島の住宅販売パンフレットの例を示した。

 以上の裁判から、、公共工事がいかに儲かるか、その根底には物価本という実際の流通とはかけ離れた積算根拠があり、必ず儲かる仕組みになっていること、そしてその利権を確保するための賄賂が日常的に送られている状況が明らかになった。