景観(街づくり)づくり100年運動

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他都市調査(山形県金山町)
日時  2013年11月13日(水)
場所  金山町庁舎
説明員

目的 金山町は林業の街であり、林業を生かした街づくりを進めている。2010年度都市景観大賞「美しい街並み賞」大賞を受賞。杉を80年以上育成させた高品質の杉を「金山杉」としてブランド化を進めるとともに、地元杉材を生かした「カラスとまり」がある固有の白壁の木造づくりの「金山方住宅」による景観形成と職人技術の継承を進めている「街並みづくり100年運動」の状況を調査。

1、金山町の概要
 明治22年に金山村誕生、大正4年に金山町になる。金山村時代から今日に至るまで合併はしていない。面積162平方キロ、人口約6,200人(25年前10,300人)、町の約8割が山林、約1割が農地の林業を主産業とする中山間部の農山村。中心部は旧奥羽街道沿いの宿場町、商人の町。高齢化率30%、三世代同居率41%、平均世帯人数は3.7人。観光客は年間12万人。
 林業は、80年以上の超伐採期により大口径の杉を生産し、昭和50年代から秋田杉として売られていたものを「金山杉」としてブランド化している。「金山杉」は年輪が密で木目が美しく狂いが生じにくいので建築材として優れている。長期生育で長い材が多くとれる。
 全国的に林業では、価格の低迷、従事者の高齢化、山林所有者の意識の希薄化による所有地の不明かなどがおこっている.金山町は商人の町であったことから、商人が力を持っていた。明治政府になり山林の払い下げが行われたとき、商人が山林を譲り受け植林をした。そのため、林家は大面積を所有することとなり、山林の長期管理が出来た。しかし、木材価格が競争に曝され低迷し、知名度を上げる取組をしてきた。原発事故後、エネルギー政策の見直しから木質バイオマスエネルギー導入をしている。2012年には間伐材や製材のバークを使ったバイオマスエネルギー利用として、町温浴施設への導入、家庭用薪ストーブや木質ペレットストーブ設置費用への助成(1/2助成、薪用上限20万円、ペレット用上限10万円)を始めている。
 

2、美しい街づくりの背景
 街づくりの背景として、①地理的要素として、日本三大急流である最上川の上流に位置し、水に対する住民の意識が高いこと、②歴史的要素として、1878年(明治11年)にイギリスの旅行家イザベル・バードが金山町を訪れ、「日本奥地紀行」で金山町の美しい風景を「ロマンチックな場所」と記して紹介したこと、③産業的要素として、林業の町であり美しい木材建築が残る街並みがあり、林業振興と木材建築による街づくりの好循環が出来たことにある。金山町は街道筋栄えた商人の町であり、林地の所有者が商人であったこと、街づくり提唱した町長が商人の末裔であり林地の所有者であったことが大きい。

3、街づくりの経緯
 街づくりの理念は飽くまでも金山町に住む住民が住みやすい町であることを基本としており、観光客のための施設整備を目指してきたわけではない。この理念から、今日景観法による規制をかけていない。

1)街づくりの取組の始まり
 1958年(昭和33年)当時の岸英一町長が自費で欧州を視察し、美しい街並みに感動したことから、帰国後1963年(昭和38年)「きれいで快適な町」を提唱し、町民と行政との協働の街づくりを始めた。公民館大会を3年間行い、その後も運動は継続された。この運動がその後の「100年運動」の基となった。町長自身が大林家であり、木造建築の美しさを訴えた。
 1971年(昭和46年)、岸英一氏の子息の岸宏一氏が町長となり、就任挨拶で「長期的展望に立って、豊かで住みよい美しい町をづくり、次の次の代に継承していくことが町民の責務である」と述べ、1974年に(昭和49年)第一次金山町総合開発計画に「美しい街づくり」を掲げた。
 1970年代後半に入りバブルにより各地で箱物づくりが広がった。金山町では町長のいとこがいる東京芸術大学建築学科及びOBとの交流により、町中心部の水路にある大堰を割石積み水路に改修したことををはじめとして、町中心部の全ての公共施設を景観に配慮した建築物に改修した。また、東京芸術大学建築学科の協力を得て、1978年(昭和53年)から住宅コンクールを実施、1983年(昭和53年)には街並み(景観)づくり100年運動を提唱、翌1984年(昭和59年)HOPE計画を策定した。
 金山町では事業を進めるために「金山住宅」への助成制度を整備、景観づくりづくりに対する共通認識を形成するために町の助成でドイツ研修を毎年実施、整備地区を中心街から周辺へと点から線、面へと拡大していった。

2)金山住宅へ
 1978年(昭和53年)から住宅建築コンクールを始め今日も継続されている。住宅建築コンクールを行うことで、①金山職人の技術の継承、②伝統的な木造住宅建設への誘導、③木造建築を推奨することで林業の活性化を図った。コンクールを街並み(景観)づくり100年運動として①自然と人間の調和、②美しい街並みづくりと地域の個性化、③金山杉を使った在来工法による住宅づくりなど地域資源の有機的結合を目的に重点プロジェクトとした。翌年に策定したHOPE計画では風景と調和した建築様式として、コンクールにおいて評価が高かったものとして伝統的な「カラスとまり」がある切り妻、木枠が見える白壁づくを「金山住宅」に指定した。「金山住宅」を推奨することで、町全体を「金山杉」と「金山方住宅」のショウルームするとした。
 1986年(昭和61年)には「街並み景観条例」を制定し、「金山住宅」の助成を始めた。これまでの取組経過から条例は支援型で強制ではなく、町民の反発も少なかった。助成額は当初は上限を30万円、後に50万円、対象は新築、増改築、色彩変更、板壁等、対象エリアは当初は歴史的な地域後世からモデル地区からはじめ、1992年(平成4年)からは町全体に対象を広げた。景観条例で形成基準が定められ、街並み整備のガイドラインが作られた。
 助成実績は1986年から2012年まで新築350件、増改築182件、色彩変更等970件、計1,477件、助成額2億2900万円余、事業額91億1000万円余、となっている。地元受注は6~7割、ハウスメーカー受注は10%程度で地元に浸透しておらず、地元経済に貢献している。

3)景観形成の共通認識の形成
 個人の資産に公費を使うことについては、景観が公共財産という共通の認識が必要であった。町という公共空間における外観は快適な生活空間として共有のものであり、住みやすい街づくりのためのものであることを理解していった。観光客が来ることは街づくりの結果であって、観光客誘致のための街づくりではない。林業の振興ときれいな村づくりコンクールをしているドイツの村に、町の助成で研修を始めた。3/4の助成額で、毎年100人程度が参加した。2002年から9年間財政事情で休止したが、景観づくりに対する関心が落ちていると思われることから政策の継続性をつくるために2011年から町の助成2/3,個人負担15万円から20万円程度で再開した。
 裏通りの整備から始めることで暮らしやすい街づくりを進めている。古いものを生かす、メンテナンスが出来ないものを買い取り改修して地域の人が関われる公共施設として活用している。また、空き地が出来る場合には周囲の景観に調和しない建物が建設されないように町が土地を借りるまたは購入している。

3,課題
 金山町では景観条例による景観形成地区に指定しておらず、県の指定による景観形成地区として薄く係っている。景観法が出来る前からの街づくりに取り組んできたトップランナーとして、町民との協働として景観づくり運動として続けることにしている。しかし、2008年頃から経済的な負担から「金山住宅」ではないハウスメーカー受注も増えており、極端な例が出始めている。町としてはドイツの「林業振興と美しい村づくりコンクール」の研修を再開するなど、町民に街づくり運動の理解を深めてもらう努力をしている。
 また、核家族化が進むことで住宅のスプロール化が始まっている。町では水と緑のくさびとして住宅地が広がらないよう水辺空間を利用して公園化することで住宅地と農業地の境界線形成を進めている。また、就業先が少ないため若年層の人口が減少していることが課題である。若年層の定着を図るため、2012年から5カ年で20戸の金山住宅の町営住宅を建設を計画している。家賃は月7万円、将来分譲する計画である。観光は飽くまでも補助的なもので、田舎暮らしをしたい人や芸術関係者などが住みやすいとして移住してくることを考えている。

まとめ
 金山町は林業と自然と景観を有機的に結合させた街づくりを進めている。様々な課題がある中、町民との協働の「街づくり100年運動」として長期的展望をもって取り組んでいる。景観は住民の「住みやすい公共空間」としての共有財産であるという理念を実践してきたことに敬意を表したい。小さな山村の取組みであるが、学ぶべきものは大きい。