第79回全国都市問題会議報告


ひとがつなぐ都市の魅力と地域の創生戦略

日時 2017年11月9日(木)、10日(金)

場所 那覇市奥武山武道館アリーナ

 

9日(木)

1、基調講演

テーマ:多様性のある江戸時代の都市

講 師:矢本博文東京大学教授

 

現在の都市の形は江戸時代の町が基本となっている。その町の歴史を知ることが、町の魅力を引き出すことができる。江戸時代は江戸、京都、大阪に大都市が形成され、各藩に城を中心に城下町ができ、藩の規模にあった都市が形成された。江戸は幕府の中心で各藩の江戸屋敷があり、江戸に各藩から武家人口が増え、その需要に併せて職人や商売人が集まり、18世紀では100万人の人口を抱え、ロンドンやパリと並ぶ大都市になった。京都は天皇がおり、伝統文化と伝統工芸品の生産地であった。大阪は全国の年貢米が集積され取引される地で、江戸時代末期には大阪堂島で世界初の先物取引がされていた。

江戸時代は全国260ほどの藩があり、各藩は城を中心に城下町が作られた。城下町は土地の地形に合わせて城が作られ、城を中心に上級の家臣団が住む場所、その周辺に下級武士の居住地が、町外れに職人など町人の居住地、その外側に寺が建てられ防御する作りになっていた。二万石以下の大名は城がないが代わりに陣屋があり、同じような町の造りになっている。江戸時代は大都市ができても、各城下町がそれぞれ多様な発展したため、大都市の一人勝ちの構造にはなっていなかった。

城下町以外にも、伊勢神宮の宇治山田など門前町町が栄えた。お伊勢参りは講でお金を積み立て、御師が世話をしてお伊勢参りをした。出雲神社、江戸の大山参り、四国金比羅参り、富士参りなどで門前町が作られた。また、江戸時代は蝦夷地の開拓が始まり蝦夷の産品が日本海側の海路で大阪に運ばれ、大阪から商品が日本海側方面に運ばれた。この北前船海路の港町では庄内藩長方の本間家や高田屋嘉平治など豪商がうまれた。

江戸時代の町の発展に参勤交代が果たした役割が大きい。参勤交代に使った東海道や中山道などの街道に定間隔で宿場が作られ、宿場には参勤交代の大名が泊まる本陣や脇本陣、旅籠が作られ、店が宿場町の街道沿いにできた。長崎のオランダ商館から将軍への拝謁に同行したドイツ人ケンペルの「江戸参府旅行記」に、日本人が旅行好きで街道にはいつも大勢の人が行き来し、店が街道筋に連なっていることに驚いていることが記されている。参勤交代は藩の格式を競うイベントで、人数も多くする傾向があり、参勤交代のための日雇い従者や人足、江戸到着後の帰郷者、お伊勢参りなど街道は賑わった。また、朝鮮通信使その後の琉球王の参府も街道でのイベントであった。参勤交代は人の移動だけでなく文化や情報の交流も果たした。江戸住まいで江戸の文化や情報に触れ、それを郷里に持ち帰ることで江戸の文化や情報が地方に広がった。大都市の先駆的な文化や情報が地方に広がる原型ができていた。

参勤交代は費用がかかったが藩財政の3%程度であった。藩財政の45%程度は藩士の俸禄、江戸滞在費が30%程度、藩内のインフラ整備は20%程度しか使えなかった。藩士の俸禄や江戸滞在費は固定費のようなもので削減できないため、参勤交代の従者の旅籠代の交渉をしなければならなかった。参勤交代の時は藩の格式で通過する藩への挨拶や離合時の挨拶がなされた。宿場の本陣は幕府がその土地の名主など有力者に土地を与え、代わりに人足の準備や馬の準備の負担をさせた。参勤交代の前の年には、藩は本陣と旅籠の予約をして陣割りを行い関札を本陣に渡していた、関札の名残がホテルや旅館の案内札である、本陣では土地のものを献上しており、本陣と大名ともつきあいもできていた。

幕末に参勤交代を大幅に緩和し、江戸藩邸から妻子を藩に戻して参勤交代をなくしたが、参勤交代がなくなったことで宿場町は衰退していった。今日、通信手段や交通手段が発達し、地方を通り越して人が移動することで、地方都市は衰退している。日本人は旅行好きであり、それぞれの町の歴史を知ることで町の魅力を再発見できるのではないか。

 

2.那覇市長より那覇市の取り組みの紹介

報告者:城間幹子那覇市長

那覇市の概要として、人口約32万人、中核市となり沖縄県での中心的な位置を占めている。近年はアジアを中心に外国からの観光客が増えており、那覇空港に滑走路2本化、那覇港のクルーズ船着岸施設の整備が進んでいる。昔より、琉球王国の王都・商都として栄え、アジアとの交流の歴史があり「人のつながり」が大切にされてきた。戦後本土復帰後は環境整備され沖縄らしさが失われたと言われるが、路地には沖縄らしさが残っている。那覇市の新たな取り組みとして、老朽化している公設市場の建て替えを行い、地元の人たちが利用できる施設であるとともに沖縄の文化と暮らしが観光客に楽しんでもらえる街づくりを進めている。また、沖縄の伝統文化の継承や文化の創造発信の拠点施設として市民会館機能を維持した「新文化拠点施設」の建設を進めている。

那覇市の取り組みとして新しい地域コミュニティづくりとして、市民、NPO、企業、との共同の街づくりを小学校校区単位で進めている。また、地域の力を生かしてこどもの居場所づくりによる食事や学習支援、生活保護家庭、準生活保護家庭などへ保育料や学童保育費の減免などこどもの貧困対策に取り組んでいる。沖縄はこれまで長寿県№1であったが、近年食事の欧米化が進み健康寿命が低下している。市民・関係機関・企業・団体などで「健康つくり市民会議」をつくり健康つくりに取り組んでいる。市民に健康つくりの食事の呼びかけをするとともに、食品店やレストランなどのメニューに健康メニューを出す店を登録する仕組みをつくっている。多様性のある街としてLGBTの方にパートナーシップ証明書の発行をしている。「平和・こども・未来「ひと つなぐ まち」」をキャッチフレーズにしており、アジアに開かれた市、躍動感溢れる万国津粱のまち「那覇」を目指す。

 

3、一般報告1

テーマ:人口減少社会の実働と都市自治体の役割

―人口とインフラの適正な持続的な配置はいかに可能か

講師:山下祐介首都圏大学准教授

 

語源を見ると都市は都(みやこ)+市(いち)であり、都(みやこ)は宮+処で王が祭事や政治を行うところである。市は斎(いつき)+ちで、祈祷により結界を張り、その中で人々が自由で対等に交流する場を意味している。国が成立する前提は政治・軍事・催事を行う大きな集団・社会が出現し、都市ができる。その国を支えるものは村・邑(まち)であり、家族が集まったところが村・邑(まち)があり、村・邑が集まり国になる。村・郷(村むら)は群れを指し、村・邑は国のおかげで人々が楽しく暮らしている様子を指している。町(まち)は間+「ち」で、国が「ち」を区切った場所を指す。「ち」は力・税あるいは血・乳を意味する。村・町・都市をむすぶ道は御+「ち」であり、王の力につなげるものを意味する。

この視点から都市を見た時、都市は村・町から道を通して税(ちから)を集め、また道や市、町を通じて国の税(力)を各地に与える結節点である。「ちから」の循環はヒト・モノ・カネ・情報の循環を実現させる。「ちから」の循環によって各地が富み栄え、また国家は「ちから」をさらに蓄え、外の「国家」と対抗するために必要な力を蓄える。このように、都市魅力は単独で何かであると言うことではなく、力を集めその力を国家に与え、国家が地方へ力を配分するシステムの中心であり、ヒト・モノ・カネ・情報が行き交う場であることにある。

2010年年代に入って日本で見えてきたことは、東京一極集中に見られるように、都市がそうした好循環の場でなくなっている。その結果国が衰退してきている。空間的には過疎・過密・地域問題が、時間的には少子化、世代間問題、とアンバランスな状況が生まれている。その原因は2000年代の政策に問題があった。第1次ベビーブーマーはこどもを産んだが第2次ベビーブーマー世代はこどもを生んでいない。戦後大都市へ人口が集中し、一時的に人口は増え、郊外に住宅が広がった。しかし今は高齢化し、過疎化が進んでいる。他方都心部は過密都市となり生活のコストがかかり、生活環境が悪い。また、新自由主義政策による非正規雇用の増加が低所得者を増やし、非婚者が増えている。そのことがこどもを産み育てる若者を減らし、人口構造にひずみをつくり、世代間の問題を生じさせている。

都市化は経済効率は上がるが生活の質は低下する。これまで地域で共同して解決してきた問題を行政や市場に求めるようになり、行政への依存が高まり、家や地域での解決能力が低下してきている。バブル期には政治はばらまきにより地方や住民の国への依存を強める働きをしてきた。国と地方、住民と行政は依存関係にあり、よい依存と悪い依存がある。新たな価値を創造できる関係を作ることが必要である。そのためには空間的な分析だけでなく、世代間という時間軸を構想した分析が必要である。これからは市民と行政の協働によって、人生と政治が結びつき、地域社会を再生させることが重要である。

地域間格差として、平成の大合併により、地方はさらに衰退した。権力が一極集中するところに、ヒト・モノ・カネ・情報が大都市に集中する。東京は生産をしていないが本社が集中しており、権力によってヒト・モノ・カネ・情報が集中している。増田レポートにより東京一極化が問題となり地方創生の取り組みが始まった。地方創生では人口ビジョンをつくり、ある時期に下げ止まる着地点を見いだすことにあった。その着地点を見いだすための試行錯誤の財源保障することで成功事例を見出し、他自治体を牽引することにあったと考えられるが、「まずはしごとづくりから」になり「稼ぐ力」となっていることに問題がある。しごとづくりが「稼ぐ力」に変わり、「稼ぐ力」の競争は国から補助金獲得競争となり、一層国の権力が強まることとなっている。その結果東京への一極集中が進む悪循環が生じている。地方分権をせずに国に権限と財源を集中させると、地方は国家予算を奪い合う構造になる。

しごとづくりはの問題は地方に仕事がないわけではなく、担い手(特に若い人)がいなくなっている問題である。若い人が地方に残らない理由は職業威信の序列(東京が上、地方が下、高次産業が上、農林漁業が下)という心理的・価値観の問題がある。近年、教育現場では英語教育に重点が置かれ、経済中心・国際的ビジネスマンを育てる教育がなされている。このような教育のあり方が文化に対する意識を壊している。多様な価値観と文化を大切にする教育を進めることで、職業威信の序列化を解消させることが求められる。また、地方で暮らすことの不安を取り除くにはインフラ整備が必要である。人口減少が進んでいる地域は人口減少により財源は減少し、必要なインフラやサービスを削減せざるを得なくなり、人口減少はさらに進む。この悪循環を立つには、地方に財源を分配し、必要なインフラやサービスを提供できるようにしなければならない。

ところが、限られた財源の分配のあり方として「選択と集中」が言われている。地方再生でも選択と集中が言われ、これ以上地方都市を衰退させないために、地方の中核都市に施設や投資を集中させとしている。しかし、これは周辺部の過疎地は切り捨てることになり、過疎化に拍車をかけることになっている。「選択と集中」は選別の思想(優生思想)につながり危険であるとともに、この考え方こそが東京一極集中を生んでいる。近年市民の意識は変わり、東京で稼いだ財を地方には分配を否定する考えが広まっている。地方は大都市に依存していると思う市民が増えているが、都市は地方によって支えられている。大都市ほど依存が強い。地方が衰退すれば消費するモノは届かなくなる。人口減少の問題は価値観の問題であり、価値観の転換が必要である。人口減少を食い止めるには、都市の人口とインフラの適正規模・適正配置がなされ、財の適正な分配がなければならない。

観光政策についても、ヒト・モノ・カネ・情報の循環が重要である。多くの場合は観光地の観光産業は観光会社、旅館業、交通会社などに利益が集中するが、観光地の名産物の生産者や観光資源を維持している人たちにはあまり利益がこない場合が見受けられる。生産物を適正な価格で引き取ることや情報や観光資源に対しても適正な報酬がなされなければ持続可能な観光産業は育たない。ヒト・モノ・カネ・情報を循環させる仕組みを作ることで、地方の人口減少に歯止めをかけることができる。

また観光政策はヒトの交流であり、多様な文化を認め合うことが重要である。ナショナリズムは排除と依存を産む。多様性を否定し画一化が進むと依存が強まり、ヒト・モノ・カネ・情報の交流がなくなり経済力を失うことになる。ナショナリズムは社会心理から始まる問題で、教育の問題でもある。多様な文化を大事にする教育から国際的なビジネスマン育成に力点を置くような教育のあり方は多様な価値観が育つことを阻害し問題である。観光政策は多様な文化を受け入れることにある。

「地方消滅」の問題は国と地方とのバランス、東京中心とする大都市と地方とのバランスが崩れ、ヒト・モノ・カネが循環できなくなっていることにある。その根底には住民の様々な不安がある。このアンバランスの是正と循環が課題である。そして、住民が持っている「地域には生活の基盤がなくなる」という不安の解消が課題である。不安を解消するためには、地方分権を進め、財の再分配を行い、どこに住んでいても安心できるインフラの整備と仕事に対する序列の価値観をなくす教育を進める必要がある。「至るところ青山あり」という多様な生活スタイルが保障できるためのインフラ整備と、都市と地方にヒト・モノ・カネが循環する仕組みが必要である。

 

4、一般報告2

テーマ:自然と都市が融合し共生が地域の価値を高めるまちづくり

報告者:蝦名大也釧路市長

 

釧路市は人口17万人、阿寒国立公園とラムサール条約登録湿地の釧路湿原がある。主な産業は、水揚げ量が全港6番目の釧路港を中心とした水産業と酪農である。また、釧路市には日本唯一の釧路炭鉱があり、採炭技術の保存がなされている。市内には短期大学と周辺自治体と共同で設立した公立大学がある。

釧路市は国の観光政策である観光立国ショーケース・国立公園満喫プロジェクトに手を上げ採択された。プロジェクトとして、阿寒湖周辺の北海道開拓の歴史とアイヌ文化の歴史を見直しし、価値を再発見した。阿寒湖の周辺の景観、まりも、アイヌ文化の保存地の活用をすすめている。阿寒湖の周辺は明治時代開拓地として製紙用の森林伐採地として払い下げられたが、オーナーが現地を見てその景観に感動して保存することを決めた。またオーナー一族は周辺に住むアイヌの人々にアイヌ文化を残すために土地を与え、アイヌ文化を観光業として生活ができるように支援してきた。今回のプロジェクトでは観光資源としてアイヌ文化、自然、自然とアイヌ文化を残すことに尽力したオーナー一族を顕彰する取り組みをしている。当初関係者は「応募しても採択されるのは難しいのでは」の声が多かったが、10戦7敗でもチャレンジすることが重要と応募し、採択された。

また、1993年に日本で最初にラムサール条約登録湿地に指定された釧路湿原があり、阿寒湖国立公園・国立公園満喫プロジェクト、釧路湿原の自然と共生した観光産業を振興し、ホテルやレストランの食材に地元産品を使うことで地場産業の育成を進めている。観光振興に使う財源として、地元の合意を得て税法の特例措置を活用して2015年から入湯税を増額する入湯超過課税を実施した。

釧路市では大学進学年齢の若者が市外へ流出しているが、公立大学を作ったことで若者の流出を減少させている。また、日本唯一の炭鉱があり、坑道による掘削採炭の技術の継承している現在世界的には採算性から露天掘りが主流であるが、将来露天掘りができなくなった時には坑道の技術が必要になると考えており、釧路市がその技術の拠点になると考えている。

釧路市では国の観光政策にベクトルを合わせて、歴史を見直し、新たな付加価値をつけ、自然と共生するまちづくりを進めている。

 

5、一般報告3

テーマ:新たなステージに入った沖縄観光

報告者:下地芳郎琉球大学産業科学部長・教授

 

沖縄の観光は「青い海・青い空」のイメージが強いが、琉球国時代からの中国や東南アジアとの交流による特異な文化が形成されている。首里城などが世界歴史遺産に指定され、「沖縄の歴史をどう生かすか」が課題になっているがさらにビジネスやMICEなどハイブリッドな観光産業が求められている。沖縄経済の基地異存は5.7%でしかなく、観光産業が沖縄の経済を支えている。米軍基地の返還と返還地の活用が課題である。

沖縄の観光の歴史をみると、琉球王国時代は中国・アジアとの交流拠点として栄え、幕末にペリーは5度来訪し、「美しい島」と絶賛した。しかし、明治に日本に併合され,明治・大正時代は沖縄は苦しい生活が強いられる時代であった。昭和の戦前の時期には沖縄の異文化が本土に紹介され、大阪商船が7泊8日のツアーを企画するなど観光に対する期待が芽生えた。しかし戦争により首里城が焼けるなど多くの文化財が消失した。占領時時代は米軍属家族などの沖縄の自然を楽しむ観光があった。1950年に琉球大学がミシガン州立大学を見本につくられ、文化についての研究が始まった。1962年には沖縄観光協会が設立され、首里城の復元計画が始まった。

1972年に本土復帰になったが、当時は慰問観光が主流であった。1975年に沖縄振興策として海洋博が開催され、空港・道路・上下水道などインフラの整備、リゾートホテルの建設が進み、沖縄の観光は「青い海・青い空」のビーチリゾート観光が始まった。また、首里城が復元され観光産業は活性化した。多くのホテルが作られ観光客の受け入れ体制ができ、修学旅行などの誘致されてきた。2000年には沖縄サミットが開催され、沖縄の知名度が高まった。近年、円安、ビザの緩和、消費税免税、またLCCによる外国航空路線の拡大やアジアからのクルーズ船が寄港するようになり、観光客が急増している。外個人観光客の増加を受け、沖縄では外国人目線でのアピールに取り組んでいる。同時に、観光客の増加は新たな課題を生んでおり、観光資源と県民の生活環境保全による持続可能な観光産業にするための取り組みが求められている。

今後の課題は観光の質の向上と観光のハイブリッド化がある。質の向上として、那覇空港の第2滑走路完成と新ターミナルの建設、クルーズ船対応のインフラ整備、那覇軍港跡地活用計画当インフラ整備、サービスの向上、人材の育成や観光危機管理の強化などの観光経営の強化が求められている。沖縄県では、コンベンションビューローが観光産業に関するパンフをつくり、小学校4年全員に教材として使用している。また、ICT活用やAIの活用を進めている。

環境産業のハイブリッド化はこれまでのリゾート観光だけではなく、ビジネスリゾート,MICEの誘致を進める。そのために、沖縄が持つ地理的な条件であるアジアのバブ機能と、那覇市が持つ「日本、アメリカ、中国」の文化が共存している特徴を生かしていく。沖縄観光の将来として、「ポスト沖縄21ビジョンー観光、学術、平和、ビジネスの世界の交流拠点」を目指している。

 

10日(金)

パネルディスカッション

時間:9:30~11:45

パネリスト:染谷絹代静岡県島田市長、山岸正裕福井県勝山市長、平田大一沖縄文化芸術振興アドバイザー、藤田とし子まちとひと感動デザイン研究所代表、能作株式会社能作観光部部長

コーディネーター:後藤晴彦早稲田大学理工学術院教授

 

染谷: 島田市は人口10万人、高齢化率29.9%、2060年の推計は人口6万人、高齢化率36.8%となっている。このような状況を踏まえ、量から質の転換するまちづくりとしてまちの「縮充」を目指している。「人が育つ・人を育てるまちづくり」を進めており、地域資源を再発見し、市民と行政の協働で行政のスリム化と市民生活の充実、地域産業の活性化を図っている。市民参加型プロモーション事業として緑茶化計画が作られ、島田産お茶のブランド化と商品開発、市のイメージカラーをお茶のグリーンとし、市のシンボルのデザインを公募で行った。島田産お茶は東京のデパートでブランドとして販売されている。

また、パラグライダーパーク、大井川鉄道橋側に休憩施設をつくり名所化、市民協働で開催するマラソン大会、若者によるまちづくりが取り組まれている。また、農協、高速鉄道、大井川鉄道、島田市の4者の連携で高速道路高架下に農産品・海産物の販売、SLが見えるカフェやレストランなどの地域の賑わいの拠点を整備している。国は地方の取り組みに素早く対応できるよう規制緩和してほしい。

山岸: 勝山市は人口2万4千人の町。1988年に恐竜の化石は発掘され、その後日本の恐竜化石の多くが勝山市で発掘され、2000年に県立恐竜博物館が建設され、年間90万人を超える入館者で賑わっている。また勝山市は縄文・弥生時代の遺跡、奈良・平安時代に栄えた平泉寺、明治近代化を担った繊維工業の産業遺産、江戸時代から300年の伝統がある「勝山左義長まつり」などの歴史遺産がある。

市長になった2000年から「ふるさとルネッサンス」の理念を掲げ、市民とともに勝山市に誇りと活力を持てるまちづくりに取り組んだ。勝山市全体を丸ごと博物館とする「エコミュージアム」として各地域の歴史、文化、自然、景観を地域の住民自身が再発見し、まちづくりをすすめた。住民が学芸員となり、各地域の遺産を発掘し、それを磨いてアピールする仕組みを構築。具体的には10区のまちづくり団体を設立し、団体で構成する「エコミュージアム協議会」を設立した。事業を行うために各団体に100万円を交付し「我が町元気発掘事業」をはじめた。各地域で遺産マップづくりが始まり、地域が再認識されるとともに、「カタクリの花探索登山コース」や保存食「鯖のなれ寿司」の復活と商品化、炭焼き窯の再生、「エゴマ」の再生と商品化がなされた。現在は84団体、349事業、1.1億円の事業になっている。2014年に「JTB文化交流賞」、2015年にふるさとづくり大賞「内閣総理大臣賞」を受けた。

2009年新たに勝山市全体が「恐竜渓谷ふくい勝山ジオパーク」に認定され、ジオパーク協議会にエコパーク協議会を組み込みしてエコパークミュージアムと連携活動をしている。国は地方の先進的な取り組みを積極的に支援してほしい。

藤田: 千葉県柏市でJR柏駅前に設置された官設民営の「かしわインフォメーションセンター」の事務局長を引き受けた経験から,まちの魅力と新たな地域価値の創造について語った。市民が主体的に受けとめて行政とともに協働するためには,「場と仕掛け」が必要。市民は経験知がなく自分たちで活動を作るノウハウを持っていない場合が多い。担い手を育てるには、多様な人が係われる活動のプラットホームをつくりが重要である。

地域案内担当スタッフのボランティアを募ったところ、10代から70代までの方100人以上が集まった。柏市は東京のベッドタウンで急速に人口が増えた町である。そのため歴史や地域特有の文化遺産など少なく、情報発信に困った。多様な世代、多様な人が集まったことで地域の貴重な情報を集めることができた。まず、それぞれはテーマを決めて自分たちの足とお金を使って町を歩き、自分たちが「これだ!」と思うネタを集め、自分たちで文章を練り、自分たちでマップのデザインしマップを完成させた。自分たちでマップづくりをすることで、まちづくりが人ゴトから自分ゴトになった。まちづくりはハードだけではできない、人が晴れの場と感じる「わくわく感」を生むソフトが必要。田辺市では、地元のアーティストの支援を受け19のJR無人駅をそれぞれの駅周辺住民がアートで飾る取り組みをした。住民が主体的に係わることで、「我が町の駅」として感動と共感を生み、まちづくりが進んだ。

能作: 株式会社能作は青銅鋳造メーカーである。仏具や茶道具の鋳造から医療機器の開発を手がけている。富山市に本社があり、12の支店と海外に3カ所支店を持っている。能作は製造だけでなく「産業観光」に取り組んでいる。製造現場の見学と製造体験ができ、製品販売とレストラン・カフェの営業、観光案内をしている。「産業観光」を展開することで地域に貢献している。地域で観光の軸となり、地域の観光振興となっている。職人芸を見てもらうことで地域に誇りを持てるようになり、ものづくりに係わる若者が増え、技術の継承と地域の活性化につながっている。また、ものづくりのデザインがアートの域になり、デザイナーを目指す若者が出てきた。今後アミューズメントパークのような取り組みにすることで「産業観光」をさらに発展させたい。「産業観光」に取り組んだことで多くの人が会社を訪れるようになり、社員の意識改革が進み、社員のモチベーションが上がっている。

平田: 県に招聘されるまでは演劇の演出家であった。仲井眞知事が「文化観光スポーツ部」を新設し、文化観光スポーツ部長として招聘された。当初は民間からの起用と言うことでミスキャストとみられていたが、舞台の経験を生かして事業に取り組んだ。舞台の成功は台本(ストーリー)と配役(キャスティング)と予算(バジェット)であり、観光行政においても同じと考えている。観光産業は心を耕す感動産業であり、歴史と文化を中心に多様な地場の産業をつなぐ。歴史・文化は言葉が重要な役割を果たす。観光行政が成功するには、計画と担当する人材、必要な財源がなければならない。事業を発展させるための計画を立て、必要な人材育成を行い、そして大胆な財源を要求し保障されたことで新事業は成功した。

観光産業は感動産業であり、感動を生む文化・芸術および同様に感動を生むスポーツを観光事業と合体させ、沖縄の新しい観光のあり方を作ってきた。具体的にはシンボルとなる拠点の整備、文化と観光とを統合、アーツカウンシルを設置し団体を支援し、活動する団体の法人化を進めることで持続できる活動団体に育ててゆく、そのために補助金の交付においてプロモーション能力をつけさせ自立できるように人材育成の場とした。

今後、2019年は世界文化遺産となった沖縄組踊り300年、2020年はオリンピック・パラリンピック、2021年は5年ごとに開催される世界から沖縄県人が集まる「世界ウチナンチュウ大会」、2022年は沖縄復帰50年を迎える。これの機会を生かして「感動立県おきなわ」をさらに進化させたい。

後藤: まとめ。人口減少・超高齢社会を迎え、豊かさを維持するために「縮充」という概念は重要。そのために住民と行政が協働でまちづくりを進めるには「場と仕掛け」が重要である。「場と仕掛け」を作る時にボール(課題・問題提起)の投げ手と受け手が重要であり、住民と行政をつなぐ役割を果たす受け手をどのように構想するかが課題である。

 

2日間を通じての所見

観光というキーワードでまちづくりについて多様な角度からの議論がなされた。観光は人と人との交流であり、まちの文化・歴史・自然・産業を知ることでまちの魅力を再発見し、新たな発見が新たな感動を産み人を引き寄せる。まちづくりは多様な人の交流と自ら参加することで人ゴトから自分ゴトになる。そのために「場と仕掛け」重要である。地方創生として観光産業が一つの選択であるが、同時に都市と地方とでヒト・モノ・カネ・情報が循環する仕組みが必要で、地方分権と地方財政の保障が必要である。以上を学ぶことができた。