「子どもに役立つ教育基本法」感想

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 九州弁護士連合会、福岡弁護士会主催の集会でした。講師の斉藤貴男さんの話を聞き、小泉内閣の構造改革と教育基本法「改正(改悪)」、そして憲法改正と繋がる極めて危険な状況を改めて実感できました。その感想を述べさせて頂きます。
 小泉内閣の構造改革は、アメリカの進自由主義を模倣するもので、競争による弱肉強食の社会を目指しています。競争の結果は全て「自己責任」とされます。しかしこれでよいでしょうか。勝者はほんの一握り、多くは敗者として貧しさを我慢しなければいけなくなります。この勝者の利益が「国益」として国に守られ、そのおこぼれを残りのものに与える社会になろうとしています。既にリストラによる失業者は増え続けており、自殺者は3万5千人にもなっています。そのうち経済的理由による自殺者は9千人を超えるといわれ、この数は交通事故による年間死亡者数8千人を超えています。経済大国日本といわれながら、どうしてこんなに多くの方が自ら命を絶つのでしょうか。競争に負けたということで命を絶たなければならない社会が本当に豊かな社会といえるでしょうか。竹中大臣は、フリーライダー(税金を払わない人、ただ乗りの人)は国が面倒を見る必要がないといっています。より豊かな人が豊かになれば、貧乏人はそのおこぼれをもらえると言っています。所得税は累進制をより緩和し、消費税を上げるなど金持ち優遇策が進められ、貧富の差が拡大しています。医療制度や保険制度が改悪されていますが、金持ちは自前で保険をかけることが出来ます。しかし貧乏人はまともに医療も受けられなくなっています。これも競争の結果であり、自己責任だというのです。このような社会が健全な社会でなくなることは当然です。
 教育基本法「改正(改悪)」はこの動きと一体のものです。「ゆとり教育」によって義務教育の質を落とし、不満な家庭は塾や私立学校に行かせるというものです。家庭環境や経済状況によって選別され、一部の「エリート」を育て、さらに「階層」として固定化しようというのです。国が求める「実直で勤勉さ」は「無知と無関心」と表裏一体のものです。「知らしめるべからず。由らしむべし。」支配の構造を作ろうとしています。
 義務教育は国民の権利です。教育の目的は自律した人格の完成を目指すことであり、そのためには基礎的な知識と学力は平等に保障されなければなりません。これがなければ民主主義を根底から否定していくことに繋がります。構造改革、そして教育基本法改悪のいくつ先は「お国のために命を投げることが出来る国民」を作ることです。
 いまマスコミはおかしくなっていると感じている人は多いのではないでしょうか。先日、大江健三郎さんや井上ひさしさんなどが「憲法9条の会」を立ち上げましたが、マスコミは全く黙殺しました。超党派の「教育基本法改正促進委員会」で民主党の西村議員が「お国のために命を投げ出してもかまない日本人を生み出す。」と発言したことは報道されません。トヨタ自動車の奥田会長をはじめ財界人が公然と憲法改正を主張し、戦争が出来る国にするという発言は大々的に報道されます。武器輸出三原則もなし崩しで変えられようとしています。兵器会社がある限り戦争はなくならなことは明らかです。国民は企業の利益のために戦争を拡大する武器の増産を認めるのでしょうか。2大政党という虚構をつくり、憲法改正は当然という世論をマスコミがつくり出しているのではないでしょうか。そして世界に新たな戦争を拡大させようとしているように思えます。
 誰が戦争に行き、誰のために命を捧げるのでしょうか。「国益とは何か」、財界人はアメリカがやっているように海外での自分たちの権益を守ることを考えています。「実直で勤勉な」エリートでない人たちを戦争に行かせようとしているのです。そして、企業の利益のために罪もない人を殺させようというのです。イラクに行かされた自衛隊の人たちが人の命を奪わないうちに、撤退せなけばと改めて考えさせられました。
 自分たちの子どもだけは関係ないなんていうことは言えるでしょうか。蛙のたとえ話ではありませんが、私たちは釜の中で既にゆであがろうとしているのです。この流れを阻止するために、立ち上がりましょう!